二泊三日の小さな旅を終えて帰宅した夜、ベランダから、桃色の月が見えた。まるくて甘くてやわらかそうで、口に含むと、すぐに溶けていきそうな月だった。
ねむっていたあいだにみていた夢には、音がなかった。小さな町を、惑いながら移動した。だれかに連れられていたのかもしれない。そこはかとない不安のなかに、これまで感じたことのないような陶酔感があって、もっと先へすすみたかったのだが、突然、肌色の巨大な壁があらわれて、そこが、いきどまりだった。「終わりましたよ」。あの瞬間、目が覚めて、息が止まった。それから、新しい呼吸がはじまった。つまり、あのとき、新しい生があたえられたというのか、不思議だけれども、そんな感じがしている。
長い夜を越えて、翌朝には、そろりそろりと、初めて歩く人のように歩いた。
川上弘美『ぼくの死体をよろしくたのむ』を持っていって、すこし読んだ。部屋を出入りするひとびとに、なんとなくタイトルを見られたくなくて、隠しながら、「憎い二人」を読んだ。
「手術とは、他人の手をみずからの内部に入れることだろう。」(平出隆『左手日記例言』)
ひととき、他人にまかせた(よろしくたのんだ)身体は、自分ひとりだけのものではないように感じられる。この感覚が、長く続くといいと思う。