2020年7月18日土曜日

拾い読み日記 195


 目が覚めるとすぐ雨の音が聞こえて、また雨だ、とあきらめのような思いと同時に、コブタのことをかんがえた。それで、ひさしぶりに読んでみた。「コブタが、ぜんぜん、水にかこまれるお話」。毎日毎日雨が降って、家のまわりの水がどんどん増えていって、窓際すれすれのところまで上がってきてようやく、コブタはうごく。瓶に「たすけて」という手紙を詰めて、えいっと力のかぎり遠くへ放り投げたあとのくだりは、何度よんでもこころを打たれる。

 さて、それから、コブタは、そのびんが、ゆっくりゆっくり、遠くのほうへ流れていってしまうのを、じっと見おくったのですが、とうとう、あんまり見つめたために、目がいたくなって、あるときは、じぶんの見つめているのは、びんだ、と思い、またあるときは、いや、あれは水の上のさざなみじゃないか、と思うまでになって……とつぜん、コブタはさとったのです、もうじぶんが、二度とふたたび、あのびんを見ることはないだろうということと、また助けを求めるために、じぶんとしては、できるだけのことをしてしまったんだということを。(A.A.ミルン『クマのプーさん』)

 それから四日目の朝、瓶を見つけたプーは、紙をとりだして、ながめる。これは、「てまみ」だ。けれど、プーには、字が読めない。
 「てまみ」は、なんて英語なのだろう、と原書を開いてみると、Missageだった。すばらしい訳語だ。

 5月の終わりごろに届いた香港からの手紙を、ようやく読み終えた。クセの強い筆記体の英文なので、なかなか、向き合えなかった。香港でのデモのこと、コロナ下の生活のこと。ときどきはデモに参加しているそうだ。「I try to be safe because I still want to make my art works. But no freedom, no art.」
 彼の新しい写真集には、香港の古道具がうつっている。彼のこころをとらえた「made in Hong Kong」は、はかなくなつかしい光を放っていて、隙があるというのか、愛嬌があるというのか、とにかく、この写真集がとてもすきだ、と返事を書こう。