2019年4月15日月曜日

拾い読み日記 109


 神はこの広い世界のただ中に
 わたしを一人で立たせたのだ
 「おまえは女ではなく鳥なのだ
 だから飛べ——­­そして唄え」と

 7年前、ひとりの春に、スケッチブックに書き写したマリーナ・ツヴェターエワの詩。『pieria』(東京外国語大学出版会)で見つけた。前田和泉訳。

 まだ疲れが残っている。大阪に持っていった本はぜんぜん読めなかった。次に何を作ったらいいのか、まだ見えてこない。これからどこに向かえばいいのか。ときどき、制作を趣味のように思わることもあり、むなしさと無力感を感じる。それは、作るものの弱さのせいだろうか? 

 新しい『pieria』が届いた。小野寺拓也「過去の人々の手紙を読むということ」を読んだ。友人の祖母の手紙をずっと読んでいたので、目にとまった。彼女のこと、だけでなく、彼女たちのこと、彼女たちが生きた時代のことを、近くに感じることが、たいせつなのだと思った。「一見普遍的に見えるけれども、その時代固有の文脈のせいで起きていること」について、知ること、考えること。

 『ぽかん  07』に載っていた郷田貴子さんの「おばあちゃんからの便りと、最期の絵日記」、大阪行きの新幹線で読んでいて、心にしみた。
 
 入院した祖母に会いに行ったのも7年前のことで、そのとき、顔に見覚えはあるが誰だったか、といわれ、祖母が帳面として使っていた「大人の塗り絵」に「伸子(孫)」と書き残して別れた。それから3年後の葬式には、インフルエンザで、出られなかった。ほんとうはサンフランシスコのブックフェアに参加するはずだった、2月はじめ。

 何ができるだろうか? と途方にくれても、何もできないとは思わない。小さなことを小さなままやり続けてもいい。大きなことは権力につながりやすい。
 知識と知恵と力がほしい。感じ、考え、作り続ける力が。