2019年4月7日日曜日

拾い読み日記 106


 夕方、製本しながら、ふいに、もっと詩歌を読まなければ、と思った。もっとさかのぼって、もっと深く、もっと心を入れて。自分には、言葉のしごとをしていくうえで、根や、芯のようなものが、欠けているのではないかと思う。これではすぐに折れてしまう。


 今日、花をゆっくりみることはできなかったが、友人の元気な様子、しあわせそうな様子をみた。


 三井葉子随筆集『つづれ刺せ』を手にとり、すきなところを読み返した。

 心平さんの詩を読むと、いっそうひとの計らいがさやさやとたてがみのように、すぎてゆくときにふかれて鳴っているのを、わたしは獅子の野中に立つようにしておう。わたしは死ぬのもおそろしいけれども、いずれ、いつかそうおっしゃったように、さようならと言って、気球かなんかのようなものに乗って、ちょうどその時地球は花なんか咲いていたりしてきれいなんだな、とそう言っていらっしゃったからそうおもって、天地の境めを失っている。(三井葉子「心平さんのこと」)