立夏を過ぎたころから、虫が増えてきたようだ。今朝は、あおむけで動けなくなり、にっちもさっちもいかなくなった虫を、2匹、ひっくりかえしてたすけてあげた。虫は、何が起こったかわかっていないだろう。いや、ひょっとしたら、わかっているかもしれない。いつか、こちらのほうが、にっちもさっちもいかなくなったとき、たすけにきてくれたりして、などと、妄想がひろがる。
自分で書いた文章を自分で編集して自分で組んで自分で校正して自分で絵を描いて自分で装幀して自分で売る。「自分」が多すぎて、息ぐるしい。しかしそれをやろうとしている。今回は、自分で印刷も製本もしないつもりだから、その点では、あらたなこころみ、といえる。
一冊の本をつくりあげること、それは書物一般を否定することである。ブッキッシュな知識から離れて、生きた体験によってこれを置き換えること。(……)ものをつくるという意味での「詩学」に属する体験である。(『ミシェル・レリス日記 1 1922−1944』)下線部は傍点
書物とはなにか。こうして、自分で自分の本をつくることでしか、わからないことがあると思う。書物と自分の関係を、あたらしくすることはできるだろうか。