2025年5月23日金曜日

拾い読み日記 321

 
 「ある日」のことが書かれた文章を、自分の定めたルールにしたがって(時系列にしたがわずに)編むことで、今日という日、今という時も、いつかのどこかへ思いがけず繋がっていく。どこか、軽くなっていく感覚があった。過ぎ去った日々も今過ぎつつある時間も、ふたたびやってくるものであり、何度でも出会い直すものである。それは、「日記」を書き、「日記」をつくることによって、あきらかになった。
 「日記とはひとつの解放行為(ベフライウングスタート)なのであって、それが勝利する場合、その勝利は密やかにして無際限である。」(ヴァルター・ベンヤミン「〈青春〉の形而上学」)

 いつもの発声練習のあと、隣の部屋から歌が聞こえてきて、何を歌っているのかはまったくわからないが、その音楽は、神、もしくは天上にいるものにむけてつくられたのだ、ということは、理解できた。

 五月の窓辺に、はかなくながれていく雲と、つややかな緑と、きよらかな歌声があって、もう、自分のためにのぞむことは、何もないように思えた。

2025年5月15日木曜日

拾い読み日記 320

 
 立夏を過ぎたころから、虫が増えてきたようだ。今朝は、あおむけで動けなくなり、にっちもさっちもいかなくなった虫を、2匹、ひっくりかえしてたすけてあげた。虫は、何が起こったかわかっていないだろう。いや、ひょっとしたら、わかっているかもしれない。いつか、こちらのほうが、にっちもさっちもいかなくなったとき、たすけにきてくれたりして、などと、妄想がひろがる。

 自分で書いた文章を自分で編集して自分で組んで自分で校正して自分で絵を描いて自分で装幀して自分で売る。「自分」が多すぎて、息ぐるしい。しかしそれをやろうとしている。今回は、自分で印刷も製本もしないつもりだから、その点では、あらたなこころみ、といえる。

 一冊の本をつくりあげること、それは書物一般を否定することである。ブッキッシュな知識から離れて、生きた体験によってこれを置き換えること。(……)ものをつくるという意味での「詩学」に属する体験である。(『ミシェル・レリス日記 1 1922−1944』)下線部は傍点

 書物とはなにか。こうして、自分で自分の本をつくることでしか、わからないことがあると思う。書物と自分の関係を、あたらしくすることはできるだろうか。

2025年5月8日木曜日

拾い読み日記 319


  Mが10代を過ごした西武新宿線沿線の町を、いっしょに歩いた。
 ここにかつて本屋があった。ここには古本屋があった。彼の言葉が町の歴史の断片を伝えてくれた。30年前の町のすがたが想像の中でよみがえり、自転車で本屋にむかうまぼろしの少年が、遠くから手招きをする。

「まだあった」店はふたつ。薄暗くて埃と黴のにおいの立ちこめる古本屋には茶色く焼けた本ばかりが並び、奥の方で食器を洗う丸い背中が見えた。そうっと入って、そうっと出てきた。出てから、深呼吸した。

 もうひとつの店は、駅から歩いてすぐの、ここもやはり、静かな、大きくはない新刊書店だ。近所の子どもや大人がふらりと普段着で立ち寄れるような、親しみやすい店構えの店だが、しばらく店内を歩きまわって棚を眺めていると、ここはふつうの町の本屋ではない、とわかった。いや、どこよりも、「ふつう」の本屋である、といえるのかもしれない。どのような言葉でならその良さを伝えられるのだろう。ぼんやりかんがえていたら、「身の丈」という言葉がうかんだ。書棚の背後に、長いあいだ、粘りづよく、身の丈にあった暮らしと読書を続けてきた人の存在を感じた。

 この店をはじめて訪れたとき、ハンナ・アレント『暗い時代の人々』(ちくま学芸文庫)を購った。

 最も暗い時代においてさえ、人は何かしら光明を期待する権利を持つこと、こうした光明は理論や概念からというよりはむしろ少数の人々がともす不確かでちらちらとゆれる、多くは弱い光から発すること、またこうした人々はその生活と仕事のなかで、ほとんどあらゆる環境のもとで光をともし、その光は地上でかれらに与えられたわずかな時間を超えて輝くであろうということ——こうした確信が、ここに描かれたプロフィールの概略的な背景をなしている。(「はじめに」より)
 
 弱い光は、わかりにくい。人の目を、強くひこうとしない。かつての自分なら、見過ごしていただろう。
 この書店では、落ち着いて、読書しているときのような呼吸で、本に向かいあうことができる。一冊の本と出あうための、一人の人間になれる。そんな書店の空間に、子どものこころだけでなく、大人の精神も、涵養されるのだと思う。

2025年5月7日水曜日

tweet 2016/5/7


  なかなか取りかかれないしごとに取りかかる前に、午後の散歩に出かけた。川沿いの緑がさやさや歌っている。艶やかな硬い葉は、降る光を跳ねかえす勢い。小さな子どもの手のひらみたいな、若い楓の葉。ひらひらと、からかうように黒い蝶。腕を這う蟻。