暗い灰青の空にこまかいうろこ雲がいちめんにひろがり、その奥に、ひとつ、星が見えた。今日は、箔押しの見本をじいっと眺めていたから、そのせいで、星のかがやきから、箔のきらめきに、思いがうつっていった。藍色のもこもこした風合いの紙に、青っぽい銀でなく、黄色っぽい銀で、文字を刷ったら、きっと綺麗だ。光は、言葉なのだろう。はるかむかし、発せられた言葉が、いま、届いた。
昨日は、ひさしぶりに書類の整理をした。紙の束を部屋中にひろげて、数年間、ためこんでいたものを捨て去るのは、気持ちのよいことだった。
三年ほど前に、読んでみて、とわたされていた紙が出てきたので、一段落ついてから、狭い仕事部屋から出て、いつも本を読むテーブルで、読んだ。
中村秀之「最終講義に代えて 「学芸は眉を顰めず」—— 階級のディスクール・断章」は、読書と階級をめぐる、自伝的ではあるが自伝ではない(「自己=社会分析〔auto-socioanalyse〕のための素材」というブルデューの言葉が引かれている)、しかし読む者に近さと親しさを感じさせる、やわらかな語り口の文章で、引用される言葉の数々にこころ惹かれつつ、ゆっくりと読み進めて、読み終えたときには、ある、感慨があった。研究と「生」が、こんなふうにつながっていること、それが、このように明かされたことに、つよく、こころが動いた。それから、あなたは、どうして本を読むようになったの? と問われている気も、したのだった。
「ただ出口がひとつ欲しかったのです」。
本という存在によって、暗い場所から抜け出せるちいさな出口を見つけ、そこから、おそるおそる歩いてきた、猿としての、自分の姿が見える。