いたずら書きがすきで、昨日の朝も、猫の絵をそのへんの紙に描いていた。描くのはいつも顔ばかりだが、その日はふと、からだも描いてみようかなと思い、てきとうにペンを走らせていたら、それを見ていた夫が、本棚から『11ぴきのねことあほうどり』を取り出して、テーブルに置いた。見て描いたら? というので、見て描いてみる。あほうどりのたくさんいる島に着いた猫たちが、うれしそうに歩いている絵だ。みんな、いい顔をしている。とても愛らしい。
見て描いていると、いつものように、すらすら描けない。線がのびのびしない。ただ、てきとうに手をうごかしているのが、すきなのだ。どうでもいいが、描と猫は字が似ている。
今朝は、猫でないものを描こうとして、アオさんという絵本の馬を描こうとしたが、ぜんぜん、だめだった。知っているものを描けるか、というと、まったくそうではないのだった。あたまと手は、それほどに遠い。
描けるものをてきとうに描く手みたいに、気楽に、のんきに、本を読んでいる。読みたいときに、読みたいように、読んでいる。何が読みたいかは、本棚の前に立つまでは、わからない。なりゆきまかせ。いきあたりばったり。手がのびた本を、読んでいる。
最近、あたらしい本ばかり読んでいたら、息ぐるしくなるな、と思った。読みたい本も、読まなければと思う本も、どんどん出てくるから、とてもおいつかない。伝えようとする力が強い、と感じる本が多くて、心は動くのだが、「今」に閉じ込められている気がしてしまって、すこし、くるしかった。
最近、あたらしい本ばかり読んでいたら、息ぐるしくなるな、と思った。読みたい本も、読まなければと思う本も、どんどん出てくるから、とてもおいつかない。伝えようとする力が強い、と感じる本が多くて、心は動くのだが、「今」に閉じ込められている気がしてしまって、すこし、くるしかった。
ほんとうは、誰からも遠い場所で、本を読みたい。ひとりで本を読む。本を読むためにひとりになる。ひとりになるために本を読む。遠いもの、はるかなもの、あるのかないのかわからないもの。そうしたものの存在を感じられないと、ふじゆうな気持ちになる。
あのころの孤独な魂は
あんな陰気なみずうみを、
楽園になしえたのでした。(『ポー詩集』より)
あんな陰気なみずうみを、
楽園になしえたのでした。(『ポー詩集』より)
雨の音と同じくらい音量をしぼったラジオから、むかしのアイドルの歌が流れていて、意外にそれが、わるくない。すきでもきらいでもない、かすかになつかしい、そんな音楽。うるさくなくて、ここちよい。雨の音が強くなれば、話し声も歌も、遠のいていく。