2022年6月12日日曜日

拾い読み日記 278


 右腕の付け根あたりがいままでにない感じで痛むので、いつもの整体にいったのだが、なかなかよくならない。それで、電車に乗って遠くの整体にいった。背中で筋違いが起きているようで、それでへんに腕が痛むらしい。いろいろたずねられる。床で寝ましたか? いそがしいんですか? いずれにも、いいえ、とこたえる。
 ひとつ、思い当たることといえば、夫の誕生日の前祝いの日にのみすぎて、その晩はすごくねぐるしかった、ということだ。グウとかゴウとか、ガ行のいびきも、かいていたらしい。そういわれても、しんじられない。こんど録音しておいて、とたのんでおく。
 思い返せば、その日あたりから、からだのぐあいがわるかった。でも今は、よくなりつつある。そう感じられる。だから、多少痛みはのこるが、さほど気にせずにいられる。
 のみすぎないようにしたいけれど、ときどきは羽目をはずさないと、どこかで大きなあやまちをおかす気もする。

 また『ある日』をつくろうとしていて、この10年ほどのあいだに書いたものを読み返していた。書いたことば、書かれたことばにわけいっていくような作業。まるで夢のなかにはいっていくようだ。だんだん、くらくらしてくる。いったい何をやっているのだろう、と思う。それだからおもしろいのだ、とも思う。

 きみの指に展かるるまでほのぐらき独語のままの封書一通  横山未来子

 かつて書き留めておいた短歌を読み返して、〈手紙〉に、〈本〉に思いを馳せる。
 画面上の言葉には、仄暗さがない。つねにひらかれているから。〈手紙〉に、〈本〉に、ここまでこころをとらえられるのは、それらが必然的にはらんでしまう暗さのためかもしれない。