2022年3月7日月曜日

「春の手紙」はじまりました




 SUNNY BOY BOOKSでの展示「春の手紙」、ぶじに、はじまりました。

 今回つくったのは、まず、『はるのこと』というちいさな冊子です。春の言であり、春の事です。歳時記から、春の季語をえらんで刷りました。季語だけでなく、春の句からえらんだことばもはいっています。のたりのたり(春の海)とか、ぽたりぽたり(椿が落ちる音)とか。
 ひらがなだけの冊子です。ひらがなにひかれていることについては、『水草』2号に書きましたので、あわせてよんでいただけたらいいなあと思います。ひらがなは、余白が多いし、曲線が多いし、意味もぱっとつかみにくいところが、すきです。
 自分で活字を組んで、半紙に刷りました。帯みたいなケースがついていて、ピンクか、水色か、黄色(黄緑色?)から、えらんでもらえます。
 ばたばたと、制作に追われてしまい、今もあたまが、うまくはたらきません。展示のためにつくった、ほかのものについては、おいおい、また書いていけたらと思っています。

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 最近、窓からみえる木に、よくヒヨドリがやってきます。姿のみえないほかの鳥と、さえずりを交わして、聞いたことのない鳴き方をして、気をひいているみたいで、とても、かわいらしいのです。ちなみに、「さえずり」は、春の季語です。

 昨日は、ほんとうにひさしぶりに、たくさんねむって、ひといきつく時間ができたので、本をひらいて、片山廣子の「鳥の愛」というエッセイを読みました。ちいさないきものによせる深い愛情に、いつ読んでも、こころうたれます。ちいさな、はかないいきもの、というのは、何も小鳥だけのことではなくて。
 
 電車に乗つてから明るい心で私は念じた、野の鳥と籠の鳥をまもつて下さる神様、どうぞ人間も、苦しんでる人も悦んでる人も守つて下さい、どこにゐても。(『新編  燈火節』より)

 制作に集中するために、知ることも、かんがえることも、想像することも、休んでいました。自分にも、世界にも、うまく関われていない感じがします。思いはことばにならず、祈りかたもわからず、今は、できるだけこころをしずめて、紙を折ったり、綴じたりしています。
 〈本〉や、ことばや、詩人が、信仰の対象ではないけれど、では、そうではなくて、なんだろう、ということを、最近かんがえています。

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 感染症対策として、オンラインでも、あたらしい本や展示したものをごらんいただけます。
 (サニーチームのみなさま、テキパキとうごいてくださり、ありがとうございます)
 
 なかなかお目にかかることはかなわないかもしれない3月ですけれど、手紙を書く/手紙が届くために必要なのは、何よりも、距離ではないか、と思っています。だから、ちょうどいいのかもしれません。近すぎると、手紙は、書けません。

 また、書けたら書きます。