梅雨明け。青空がひろがっても、なお心身を重たくするものたちがあって、それらをどうにか振りはらうため、『一つの机』という詩集から、一篇の詩をうつしておこう。
夏の手帖に 菅原克己
隣のこどもの
声がする。
——行ッテマイリマス!
はじけるような声だ。
それから二時間もたつと
また元気のいい大声が戻ってくるだろう。
——タダ今!
彼は真ひるの二時間を
どこの空間を駈け廻っていたのか。
ぼくの部屋のまわりは
緑が濃くて、
ひるでも暗い。
ぼくはそのなかで、
ピカピカする
夏のこどもを追いかける。
おお
光いっぱいの
隣りの子の夏だ。
いま野球帽をかぶった彼は
どこにいるのか。
年とったぼくの
どのへんにいるのか。
寝る部屋が通学路に面していて、朝と午後の、こどもたちのうるささに辟易している。大声はまだいいが、キエーッとかいう奇声には参る。ときどきは、かわいらしい会話も聞こえる。何味のかき氷がすき?とか。
辟易しているが、元気なことには、安心もする。誰にも虐げられず、誰の顔色もうかがったりしていない、のびのびしたこどもたち。
光のなかで、安心して、夏をすごせますように。