2021年7月16日金曜日

拾い読み日記 256


 梅雨明け。青空がひろがっても、なお心身を重たくするものたちがあって、それらをどうにか振りはらうため、『一つの机』という詩集から、一篇の詩をうつしておこう。

   夏の手帖に  菅原克己

 隣のこどもの
 声がする。
 ——行ッテマイリマス!
 はじけるような声だ。
 それから二時間もたつと
 また元気のいい大声が戻ってくるだろう。
 ——タダ今!
 彼は真ひるの二時間を
 どこの空間を駈け廻っていたのか。
  
 ぼくの部屋のまわりは
 緑が濃くて、
 ひるでも暗い。
 ぼくはそのなかで、
 ピカピカする
 夏のこどもを追いかける。
 
 おお
 光いっぱいの
 隣りの子の夏だ。
 いま野球帽をかぶった彼は
 どこにいるのか。
 年とったぼくの
 どのへんにいるのか。


 寝る部屋が通学路に面していて、朝と午後の、こどもたちのうるささに辟易している。大声はまだいいが、キエーッとかいう奇声には参る。ときどきは、かわいらしい会話も聞こえる。何味のかき氷がすき?とか。
 辟易しているが、元気なことには、安心もする。誰にも虐げられず、誰の顔色もうかがったりしていない、のびのびしたこどもたち。
 光のなかで、安心して、夏をすごせますように。