「こうして日々はすぎて行く。時どきわたしは自問するのだ。子どもが銀色の球によって魅惑されるような工合に、私は人生というものによって催眠術にかけられているのではないか、と。そしてこれが生きるということなのか、と。これはとても生きいきとしていて、明るくて、刺激的だ。でももしかすると浅薄かも知れない。〈人生という〉球を両手で持って、そのまるい、なめらかな、重い感触を静かに感じとり、そのようにして毎日持っていたいと願う。プルーストを読もう。前後しながら読もう。」(ヴァージニア・ウルフ著作集8『ある作家の日記』)
日記を前後しながら読むたのしみは、「人生」や「日々」から、解放される気がするからだろう。過ぎ去るということ、つまり「時間」から? わからない。今、本をそのようにしてしか読めない。
今朝、夫の本棚にあるウルフの日記をさがして、借りていい? と聞いたら、「あげる」といわれた。とてもうれしい。綺麗な水色の布装の本。別丁扉と、その裏の薄い水色の文字(クレジット)が、とりわけ凛としていてすきだ。
さがしていた記述は見当たらなかったが、ウルフの言葉にひきこまれて、ふかくもぐるような時間をすごせた。