12月11日。快晴。雲も、風もない。ときどき電車の音がする。
昨日は、ひさしぶりに、ブルーノ・ムナーリの本を読んだ。あたらしい本を作るにあたって、「読めない本」や「本の前の本」について、もっと考えたい、と思っている。
「要するに, 何かを企画設計するときに心に留めてほしいことは, 人間には, まだすべての感覚がある——たとえそれが, 下等といわれる動物のそれに比べれば, 衰退していても——ということだ。」(『モノからモノが生まれる』)
混んだ電車でみんながみんなスマートフォンを見ていると、一瞬、こわさを感じる。両隣にゲームをしている人がいたら、なんとなく、落ち着かない。本だとそういうことはない。なぜだろうか。そのうち慣れるのだろうか。
自分もよく使っているし、助けられている部分もあるから、あまりわるいことはいいたくないけれども、何か、はやすぎる、多すぎる、刺激的すぎる、と身体が感じるときがあるようだ。受けとめきれない感じ、とでもいったらいいのか。見ている、というよりは、見させられているみたい。あるとき話題にしたら、友人がそう表現したことがあった。
もっとぼうっとしていられたらいいのに、と思う。本を読むときの時間の流れかたを、とても大切に感じている。
目も耳も手も、いや、身体中にあるセンサーを探して使って、ゆっくり読める(はやく読めない)ような、見たことがない、おもしろい本を作ってみたい。そんなこと、できるだろうか。今は、旅のはじまりみたいな気分でいる。しらない国を歩きまわること。自分で道を見つけること。どうしてこんなところにいるんだろう、と思えたら素敵だ。
「いつかあるとき、世界はまあるくてぐるりぐるりと歩いてくことができました。」(ガートルード・スタイン『地球はまあるい』)