2025年3月30日日曜日

tweet 2025/3/30


 電線にとまった五羽の鳩のあたまのうえを、風にのって飛んできた一枚の花びらが、ゆっくりと通りすぎていった。あえかな白は、そのうち、空の青にまぎれた。

 あのとき、なぜだろう、春の芯に触れた気がした。いつのまにかやってきて、かろやかに去っていくもの。だれも知らない、つかのまの恋のように。

2025年3月29日土曜日

tweet 2015/3/29


  電車で一時間の旅。車窓からみる春の町は、流れる川のようだった。あそこにふわり、ここにもふわり。桜がうかんでいる。呼んでいるのか、呼び交わしているのか。

「子供の頃から、自分はただ流れ去る一つの生体にすぎないと感じてました。」

 手元の文庫本を読み続けられない。はやく逢いにいかなければ。

2025年3月28日金曜日

tweet 2025/3/28

 
 春は、一度はじまってしまえば止まらない。加速していく。

 家から出られず日々眺めている矩形に、淡い緑と桃色の分量が増えた。裸の欅の簡素な美はこの冬を過ごす力になり、愛着があったが、鶸茶色の薄い衣を纏った今も、素敵だ。

 ひたむきに天をめざすものたちが誘いかけてくる。“Up we go! Up we go!”


2025年3月27日木曜日

tweet 2017/3/27


  ぼんやりメールを書いていて、「チラシ」が「虎師」に変換され、『プー横丁にたった家』を探しに立った。

「トラーってものは、けっしていつまでもかなしんでなんかいないんだ。」と、ウサギは説明しました。「やつらはおそるべき速度で、わすれてしまうんだよ。」

 そこで思いだしたことがある。

2025年3月26日水曜日

tweet 2015/3/27

 
 雲ひとつない春の空。どこからどこまでが空なのだろう。

 おわりのない、すいこまれそうな青の一点に、欠けた半透明のものがふわりと浮かぶ。風がふけば飛ばされそうな儚さで。

 陽射しの下、抱かれた赤ん坊もまぶしそうにしていた。日ごとふくらんでいくものの、いまにもはじけそうな気配に身震いする。

2025年3月8日土曜日

Book⇄Life





 水中書店からの依頼で、「Book⇄Life」というポスターをつくりました。本⇄人生/生活/生命。本からLifeへ、Lifeから本へ。手をうごかしてみたら、かたちができました。ぶきような、じぶんらしいかたちになりました。
 入り口に貼ってあります。何か、あかるい、いきいきしたものを感じてもらえたらいいなあ、と思います。
 本屋さんに来る人だけでなく、通り過ぎる人にも、見てほしいそうです。つくったものが、町にひらかれている、というのか、町の一部になることを、新鮮に感じます。 


追伸 ananas pressの相方aこと都筑さんが山口さんと本の話をするそうです 詳細はこちら

2025年3月4日火曜日

拾い読み日記 318

 
 花がだいぶ散ってものさびしく見える梅の木に、メジロと、ヒヨドリが来た。ヒヨドリのからだは、細い梅の枝にとまるには大きすぎる気もしたが、そんなことはおかまいなしに、白い花々とくちづけを交わし、それから、すーいすーいと低い飛行で去っていった。灰色の世界に、灰色のからだで、自由に線を描くように。

 ひさしぶりによく眠れたので、あたまがすっきりしている。夢の中で聞いた歌がなまなましく記憶に残り、それが何の歌か知りたくて、鼻歌検索までやってみたが、でも、どうしても、わからないのだった。きっと、存在しない歌なのだろう。昨年の終わりに亡くなった華やかな人が、ステージで歌ってくれた。人をはげますような、いかにもポップソング、という感じの曲だった。流した涙も君の宝物になる、というような。

 先日、卓球の試合で、くやしい思いをしたから、そんな夢をみたのだろう。ものすごくサーブが切れている人、攻めも守りも上手い人、淡々と力みなく強い人、決めるべきところできっちり決めてくる人に対して、ほとんど歯が立たなかった。自分は、技術的にも精神的にも、よわすぎる、と思った。
 なかでも、同世代だろうか、卓球に自分を賭けている(ように見える)人の気迫は、すごかった。フルゲーム、10−9でマッチポイントを取ってサーブを出す前の、間合い、眼差し。ころす気か、と思った。彼女にとって、試合とは、決闘の場なのだ。
 
 あそこまで、卓球に、自分を賭けることはできない。体力にも気力にも、かぎりがある。卓球よりは、「本」に、自分を賭けたい。
 
 試合が終わって、季節はずれの陽気のなか、卓球を通じて知り合った人たちと、いっしょに駅までの道を歩いた。のどかな景色がひろがり、隣を歩くOさんの育った町の話を聞いたり、それぞれの方言の話をしたりしていたら、しだいに、気持ちもほどけていった。
 知り合って間もなくて、年もかなり離れているのに、こんなふうにしぜんに話ができるのは、練習のときに向かいあっているからかもしれない。卓球場以外で会うことはないけれど、どういう人なのかということは、なんとなく、わかる。
 
 駅に着いてみんなと別れ、そういえば、と本屋さんに向かった。数年前に、かまくらブックフェスタのフェアでお世話になったお店。はじめて訪ねたけれど、とてもいい本屋さんだった。
 棚をゆっくり見ていたら、あたたかな、なぐさめと、希望のようなものを感じた。並べられた本が、砦のようにも見えた。ある意志をもって並べられた本たちは、人に、たしかな、力を与えることができる。言葉のいらない世界から、言葉の世界へ帰ってきて、そう思った。

 一冊、探していた本を買ってリュックにしまい、乗り換えの駅でビールをのみ、くたくたのからだをひきずるようにして、家路に着いた。