ある不安のせいで、図書館に火の手が迫る妄想がふくらんで、起きぬけに、渡辺一夫の、本を疎開させるエッセイを読んだ。本はまもられてここにきて、ここにある。書棚の前にしゃがみこんで、べつの本を手にとる。
彼らの存在はぼくにとって生きている強い何かだった。それは紙とか革とか金落とか以上のものだった。ぼくは彼らの友情の暖かさを感じていたし、また彼らはぼくの仕事を見守ってくれていた。彼らはみな、その静かな調子によってわれわれの世界の持続を信じるようにぼくを勇気づけてくれる、ひとつの声をもっていた。(『ジュリアン・グリーン全集14 日記**』 小佐井伸二訳、人文書院)
本に避難すること。同時に、本を避難させること。すなわち、「本」が身をひそめていられるような心身をたもつこと。過去の人々への親愛と、未来の人々への信頼の気持ちをうしなわないこと。そのために、ときには、「今」から身をひきはがし、本を読み、本について、書く必要がある。「常套句(フレーズ)」(カール・クラウス)から遠く離れて。
窓から見える空は淡い灰色で、塵のような雪片が舞っている。散りながら消えてゆくちいさな花びらのようでもある。かたちのちがう二本の木が並んで立っている光景を、うつくしいと感じる。そしてまた、「本」がやってくる。
じぶんが、この美しいきものをぬぎすてた、飾りけのない、あらあらしい自然のすがたを好きになれたことを、モグラは、うれしく思いました。モグラは、そのはだかの骨ぐみの中まで、はいりこんでみましたが、それは、しっかりしていて、強くて簡素でした。(ケネス・グレーアム『たのしい川べ』石井桃子訳、岩波書店)
