2025年12月20日土曜日

にぶやさん


  一昨日は宇野邦一さんの、昨日は丹生谷貴志さんの「語り」を聞いた。トーク、という軽い響きの言葉はおそらくふさわしくない。数十年にわたる読書と思考が彼らの肉体の一部になり、その肉体から繰り出される語りには、それぞれに、聞く者をつよく巻き込む力があって、あたまも身体も、ついていけなかった。昨夜の帰り、電車を乗り過ごし、今日は朝から寝込んでいた。知恵熱だろうか。

 語りを聞いたあとに言葉を交わしたひとびとの声があたまの中で反響し、その顔や身体はキュビスムの絵みたいなかたちであらわれては消え、またあらわれ、おさまる気配がないので、この文を書くことにした。人と会うこと、人のなかに出ていくことは、自分にとって、大きなよろこびであり、同時に、くるしみでもある。とても疲れている。それと矛盾することなく、とても幸運だったとも思う。あの場所にいられたことが。誘ってくださったAさんに感謝している。

 宇野さんの会で編集者のAさんの姿を見かけて声をかけた。20代のときに酒席で迷惑をかけた(酒癖がわるかった)ことをとても恥ずかしく思っているから、いつもの自分だったら気がつかないふりをしているはずだが、昨日、Mが、Aさんが編集した『丹生谷貴志コレクション』を買ってうれしそうに読んでいたので、そのせいかもしれない。そう、きっと「本」のせいだ。余談だが(「余談」、昨日の語りで頻出したことば)、丹生谷貴志をこよなく愛する古本屋のNさんとMは、丹生谷さんのことを親しみをこめて「ニブタン」という。今、その「タン」は「谷」がなまったものか、と思いついたのだが、それはどうでもよくて、丹生谷貴志という著者には、人を憧れさせる、あるいは特別な愛着を感じさせる(会に誘ったKさんは丹生谷さんが「大好き」だという)、何かがあるのだろう、と思う。それは、何なのだろう。

 一昨日、Aさんと一緒にいた、細身の、穏やかそうな男性が丹生谷さんだと知り、興奮して、話しかけてしまった。昔、何度か原稿をお願いしたことがありますと。電話の思い出。呼び出し音が、やけに長かった。いないのか、と思い受話器を置こうとすると、「はい」とちいさな声がした。生きていない人のようだった。書評の依頼は、いつでも気軽に引き受けてくれた。奇妙なくらい気軽だった。家の中の音がまったくしないので、孤島にいる人みたい、と感じた。

 わたしにとっての「丹生谷さん」は、声だけの人(しかもちょっと不思議な人)だったから、その肉体を前にして、昂揚したのか、といえばそれもあるだろうが、何より、丹生谷貴志という著者に、その文体に、生身の身体がそぐわないせいだと思うのだが、どうなのだろう。おかしなことをいっているだろうか。

 ところで先ほど、CiNiiで丹生谷貴志を「ニユウダニキシ」とするおそろしいまちがいを見かけた。これは誰かの(妖精の?)いたずらなのだろうか。今はあたまがぼうっとしているから、どうでもいいことしか書けない。まだ、昨日の語りのなかに、巻き込まれているようだ。読むことも書くことも、このままではいけない、と思っている今の自分にとって、たいへんだいじなこと、手がかりになるようなことを聞いたと思うのだが、今のこのとっちらかった状態では、書けないし、書きたくない。

(続く)?