2025年11月30日日曜日

バタイユとアナーキズム


 法政大学出版局のnoteに、酒井健さんの著書『バタイユとアナーキズム』の装訂についてのエッセイを寄せました。主に、どういうふうに装画ができたか、ということを書いています。
この本は、行き詰まっている人、詩を愛する人、何かを制作している人に、とくにおすすめします。


2025年11月23日日曜日

ある日 読書と断片(2)


 『ある日 読書と断片』は、以下のお店で取り扱っていただいています。どこかで見ていただけたらうれしいです。

BOOKNERD(岩手)
button(宮城)
曲線(宮城)
Title(東京)
日記屋  月日(東京)
ON READING(愛知)
余波舎/NAGORO BOOKS(京都)
toi books (大阪)
葉ね文庫(大阪)
blackbird books(大阪)
Calo Bookshop & Cafe(大阪)
本屋とほん(奈良)
ほんの入り口(奈良)
本の栞(兵庫)
ロバの本屋(山口)
READAN DEAT(広島)
ひとやすみ書店(長崎)
Bareishoten(大分)


 読んでくださった方から、本が読みたくなった、とか、何か書いてみたくなった、とかいわれると、作ってよかったなと思います。わたし自身も、読み返すと、そういう気持ちになります。
 ヒロイヨミ社をはじめたころは、自分で自分の本を作ることなどまったく考えていませんでしたが、自分の身体や感覚にしたがって活動を続けてきたら、こういうものができた、という感じです。
 このように書いて気付きましたが、以前は、自分で自分の本を作ることに、ちょっと、はずかしさを感じていたようです。でも今は、全然そんなふうには思っていません。

 すきな映画監督が、10年ほど前に対談でいっていました。「職人的な、手仕事的な部分をつねに持っておくことが、ぼくには必要なんだ。仲間との関係から生まれる部分、ちょっとした日曜大工的な部分。もしすべてがあまりにプロ風になってしまったら、なぜ自分が映画をつくっているのか、わからなくなってしまうだろう。自分が映画をつくる理由、それはまさに、ある特定のやり方で、近しい人々と一緒に映画をつくるためだ。この社会とは別のところで自由の空間を手にすること。撮影行為とはそういうものだ。」(ギヨーム・ブラック)

 これを読んだとき、この社会とは別のところで自由の空間を手にすること、という言葉に特にこころ打たれて、書き留めておいたのでした。

 これからも、本の仕事をしながら、本を読みながら、書きたいことを書いて、作ってみたいものを作っていこうと思います。〈本〉とはなんだろう、という問いの渦中にいるために。自由の空間で、その問いをいきることができるように。

2025年11月12日水曜日

石原吉郎の詩の構造



 斉藤毅さんの著書『石原吉郎の詩の構造 他者、言語、世界』(法政大学出版局刊)を装訂しました。装画は、活字の裏の部分(ゲタ:〓)を手で押してつくったものです。まもなく書店に並びます。それとももう並んでいるのでしょうか? わたしもぜひ書店で見てみたい、と思っています。

 先月刊行された酒井健さんの『バタイユとアナーキズム アナーキーな、あまりにアナーキーな』と同じく、法政大学出版局の編集者、赤羽健さんとの仕事でした。また、装訂について、ふりかえる機会をいただきましたので、出来上がった2冊の本をゆっくりひもときつつ、制作上での出来事のひとつひとつを、思いかえしているところです。


 ヒロイヨミ社の新刊『ある日 読書と断片』についても、追って、お知らせします。どうぞよろしくお願いいたします。