2024年8月22日木曜日

拾い読み日記 308


  二日続けてプールにいく。
 Mといっしょにいくのは一年ぶりだ。泳ぎ方について、アドバイスをもらう。クロールは、顔を前に向けて、眉毛で水を切るイメージで。背泳ぎは、手をできるだけ遠くに伸ばして。クロールも背泳ぎも、水を掻くときは肩を大きく使う。平泳ぎは、よくわからないとのこと。バタフライは? やってみせて、といったら拒まれる。ドルフィンキックというのを、ちょっとだけ教えてもらい、バタフライ、できるかも? と思ってやろうとしたら、おぼれかけた。いつか、できるようになりたい。

 先が気になって読むのをやめられない、という読書は、夏にふさわしい。そもそも、本との関係のはじまりは、こういうものだった。物語のなかに入りこみ、おぼれるように、ただ、読むこと。そこには「本」も「わたし」もない。

 『ISSUE  中川李枝子 冒険のはじまり』を読んだ。「何が一番幸せでしたか?」「たくさん本が読めたこと」。あとがきの言葉を、いいなあ、素敵だなあ、とあたまのなかでくりかえしている。

2024年8月20日火曜日

拾い読み日記 307


 部屋を出て、階段を降りると、死んだ虫をたびたび見かける。蟬、蛾、コガネムシ、カメムシ、トンボ、などなど。死に場所に、ここは、ちょうどいいのだろうか。今朝は、蟬が、3匹も死んでいた。もう、夏も終わりに向かっている。

 やるべきこと、考えなければならないことが多くて、やや鬱屈してきたようなので、午前中、プールで泳いだ。午前中に泳ぐのは、一年ぶりだった。朝の光が水底でゆらゆらゆれてかがやくので、泳ぐより、それをずうっと見ていたかった。水という不定型なものによって、やわらかなかたちができて、重なり、つながって、模様ができているようすが、おもしろかった。それから、水にうかんで、空や木を眺めたりした。

 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読んだ。『クララとお日さま』もひといきに読んだが、これも、読み始めたら止まらなかった。イシグロは、小説を書くのが、異常にうまい、と思った。
 人間ではない(とされる)ものの回想によって、物語は進んでいく。回想という行為には、どこか、淋しさや喪失感をともなうものだが、彼女たちは、人間によって振りまわされ、都合よく使われ、「使命を終えた」あとは、なすすべもなくすてられる運命にあるのだから、よけいに、切なかった。
 これからは、いっそう、ぬいぐるみにやさしくしよう、と思う。ぬいぐるみが今の暮らしを回想したとき、しあわせだった、と思ってもらえたら、うれしい。

 読んだあと、表紙がくるんと反りかえった文庫本を見て、Mが、おもしろいことをいった。反った紙が、やあ、といって挙げた手に見える、と。おもしろかった? 本にそう聞かれたら、迷わず、うん、とっても、と答えよう。