2020年10月2日金曜日

拾い読み日記 205

 夕方、夫と待ち合わせて荻窪の古書ワルツへ。 一時間ほど棚を見てまわり、そのあと餃子をたべにいった。夫がツイッターで知った店で、おいしそうだから行きたい、という。駅から歩いて数分の、半地下にあるその店のドアを開け、中に入ると、そこは明らかに、かつてスナックだった場所だった。一瞬、引き返したい気持ちがよぎったが、うながされるままテーブル席につき、餃子を注文して、買った本を見せ合いながら、おいしくたべた。ゆでた生姜餃子が、とくによかった。小さな店で、他にお客さんはいなかった。かなり、旅っぽい体験だった。夫は生ビールを2杯のんだ。わたしは1杯だけ。

 移動の電車で國分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった。』を読み終えた。國分功一郎が、叢書エパーヴの(豊崎光一、宮川淳の)本について書いた箇所が、特に心に残った。

 本があまりにも綺麗で、かよわく感じられて、どこにも線が引けなかったこと。本だけでなく、彼らの言葉そのものにも同じことを感じたこと。繊細で精密な言葉の、弱さと遅さ、伝わりにくさ。

 こういう言葉から私たちは本当に遠く離れてしまった気がする。弱い言葉は理解されるのに時間がかかる。いや、言葉というのはそもそもそういうものではないだろうか。言葉が届くにはとても時間がかかる。それに一度届いても、その後、何度も何度も回帰してくるのが、言葉と呼ぶに値する言葉だ。

 古書ワルツで高橋英夫『花から花へ 引用の神話 引用の現在』を買った。見返しの灰色の紙に、今年亡くなった編集者I.Hさんへの、献呈署名がある。安く買えて嬉しい、という気持ちはすぐに消え、なんともいえない、割り切れないような淋しさが残った。