2024年10月8日火曜日

あさつなぎ


 

 十田撓子さんの新詩集『あさつなぎ』の刊行記念展を10月25日から荻窪のTitleで開催します。

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 秋田県鹿角市に生まれ育った詩人、十田撓子は、土地の記憶と、美しく、時に厳しい鹿角の自然に育まれた幼年時代の心象風景を大切にしながら、ひとつひとつの詩を紡いでいます。H氏賞を受賞した第一詩集『銘度利加』から7年、新詩集『あさつなぎ』の刊行を記念して、関連する写真や地図、原稿などを展示いたします。


日時=2024年10月25日(金)~11月12日(火) 10月30日(水)、11月5日(火)、6日(水)休み

12時〜19時30分 (日曜:19時まで、31日:18時まで、最終日:17時まで)


会場=Title 2階ギャラリー(東京都杉並区桃井1-5-2)
 
◎朗読/トークイベント
朗読:十田撓子 トーク:宇野邦一
・日時:10月31日(木)19時30分〜(21時終了予定) 開場19時
・会場:Title 1階特設スペース
・料金:2500円
・定員:25名

◎十田撓子『あさつなぎ』11月刊 編集・造本:山元伸子(ヒロイヨミ社) 発行:Le Petit  Nomade

詳細はTitleのウェブサイトをごらんください。


2024年9月15日日曜日

拾い読み日記 310


 一冊の本は、無数の決断で出来ている。決断、もしくは、断念。これは、誰の言葉だったろうか。ある迷いから、本棚から本を取りだしては開いて、やみくもにページをめくっていた。とても、疲れた。

 あの日、博物館に向かっていたときは、まだ、怒りがあった。だいぶ、よわってはいたが、その怒りによって、やりとげる力が得られたような気がした。

 しかし、博物館から出て、カフェに入り、ビールをのみながら、空を見上げてちいさな飛行機の影を目で追っているときに、ある思いが、降りてきた。
 こころを濁らせてはいけない。

 かれにとっては、一片の土地の住民と小さな虫たちの苦痛こそが問題なのであった。この小さな存在がかれの「連帯」の相手であった。(市村弘正『小さなものの諸形態』)

 小さな存在として、小さな存在のために、あたえられたからだとこころを使うこと。

2024年9月12日木曜日

洋書まつり 2024



 今年も、洋書まつりのチラシをデザインしました。
 本のポスターをつくるときは、本ってなんだろう、なんだったっけ、ということを、かたちからかんがえる(そして、わからなくなる)のですが、その作業が、たのしいです。
 今年は、こういうかたちが、出てきました。
 洋書まつりは、新刊も古本もある、洋書のバーゲンフェアです。きっと、未知のものにふれられます。
 10月18日と19日、東京古書会館で開催されますので、お時間がありましたら、ぜひ。


 今は、十田撓子さんの第二詩集を作っています。
 発行者は宮岡秀行さんで、わたしは、編集・制作、デザイン、組版をやっています。
 
 刊行にあわせて、10月13日に、秋田県鹿角市の大湯でイベントがあります。





 東京では、10月25日から、荻窪のTitleで、刊行記念展を開催します。会期中に、朗読/トークイベントもあります。

 くわしいことは、あらためてお知らせしますので、どうぞよろしくお願いします。

2024年9月1日日曜日

拾い読み日記 309

 
 弱った蟬が、びびび、ぶぶぶと音を立てて、力なく飛びまわっている。夜の廊下で、まるで、取り乱した人みたいに。どうしたものか、いや、どうもできない、と通り過ぎようとしたとき、蟬が、服の、裾のほうにとまった。じっとしている。あわてずに、さわがずに、蟬を服につけたまま歩き出すと、やがて、飛び去った。蟬に、柱か壁だとかんちがいされたのだろうか。すくなくとも、危害を加えるものではないと思われたことは、たしかだろう。かんちがいされたことが、すこし、うれしかった。

 眠りが浅く、深夜2時ごろ目が覚めてしまう。暗いなかで目をつむっていても、いっこうに眠気はおとずれない。

 もうくりかえし読んでいる杉浦日向子『YASUJI東京』を、また読む。
 井上安治が小林清親に入門した雪の日を描いたページがとても好きで、じいっとその白い風景のなかに入りこむように見ていると、こころが、おちついた。しんしんとしずけさが降りつもり、まぶたにも胸にもあたまにも白がひろがって、ようやく眠れた。

2024年8月22日木曜日

拾い読み日記 308


  二日続けてプールにいく。
 Mといっしょにいくのは一年ぶりだ。泳ぎ方について、アドバイスをもらう。クロールは、顔を前に向けて、眉毛で水を切るイメージで。背泳ぎは、手をできるだけ遠くに伸ばして。クロールも背泳ぎも、水を掻くときは肩を大きく使う。平泳ぎは、よくわからないとのこと。バタフライは? やってみせて、といったら拒まれる。ドルフィンキックというのを、ちょっとだけ教えてもらい、バタフライ、できるかも? と思ってやろうとしたら、おぼれかけた。いつか、できるようになりたい。

 先が気になって読むのをやめられない、という読書は、夏にふさわしい。そもそも、本との関係のはじまりは、こういうものだった。物語のなかに入りこみ、おぼれるように、ただ、読むこと。そこには「本」も「わたし」もない。

 『ISSUE  中川李枝子 冒険のはじまり』を読んだ。「何が一番幸せでしたか?」「たくさん本が読めたこと」。あとがきの言葉を、いいなあ、素敵だなあ、とあたまのなかでくりかえしている。

2024年8月20日火曜日

拾い読み日記 307


 部屋を出て、階段を降りると、死んだ虫をたびたび見かける。蟬、蛾、コガネムシ、カメムシ、トンボ、などなど。死に場所に、ここは、ちょうどいいのだろうか。今朝は、蟬が、3匹も死んでいた。もう、夏も終わりに向かっている。

 やるべきこと、考えなければならないことが多くて、やや鬱屈してきたようなので、午前中、プールで泳いだ。午前中に泳ぐのは、一年ぶりだった。朝の光が水底でゆらゆらゆれてかがやくので、泳ぐより、それをずうっと見ていたかった。水という不定型なものによって、やわらかなかたちができて、重なり、つながって、模様ができているようすが、おもしろかった。それから、水にうかんで、空や木を眺めたりした。

 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読んだ。『クララとお日さま』もひといきに読んだが、これも、読み始めたら止まらなかった。イシグロは、小説を書くのが、異常にうまい、と思った。
 人間ではない(とされる)ものの回想によって、物語は進んでいく。回想という行為には、どこか、淋しさや喪失感をともなうものだが、彼女たちは、人間によって振りまわされ、都合よく使われ、「使命を終えた」あとは、なすすべもなくすてられる運命にあるのだから、よけいに、切なかった。
 これからは、いっそう、ぬいぐるみにやさしくしよう、と思う。ぬいぐるみが今の暮らしを回想したとき、しあわせだった、と思ってもらえたら、うれしい。

 読んだあと、表紙がくるんと反りかえった文庫本を見て、Mが、おもしろいことをいった。反った紙が、やあ、といって挙げた手に見える、と。おもしろかった? 本にそう聞かれたら、迷わず、うん、とっても、と答えよう。

2024年7月23日火曜日

カフカを読みながら

 


 丸田麻保子さんの詩集『カフカを読みながら』(思潮社)の装幀をしました。(高遠弘美さんの本では「装訂」でしたが、思潮社では、「装幀」です。)
 装画は鈴木いづみさん。編集は藤井一乃さんです。

 この詩集を手にした人のこころに、すっとなじむかたちになっていたら、さいわいです。わたしも、また、しずかなきもちになって、ひとつひとつ、詩篇をたどっていきたいと思います。

 表題作「カフカを読みながら」のように、この詩集を読みながら(読んだあと)眠ったら、夢をみました。夢のなかで、9年も前になくなった人のことを心配していて、起きてから、もう、心配しなくていいのだとわかって、すこし、ほっとしました。目がさめたとき、喪失感もあったけれど、ひさしぶりに会えたようなふわっとした感じもあって、微妙に混乱していて、なんだか、詩集のなかにはいりこんだような夢でした。
 それから、夢をみることと読むことの類似について、とりとめもなく、かんがえていました。
 
 鈴木いづみさんの作品展「誰にも知られずに」が、代々木上原のapril shopにて、まもなく開催されます。

 また、小縞山いうさんと鈴木いづみさんの本『しるすされない』(デザインしました)も、取り扱いのお店が増えましたので、お知らせします。

dessin(中目黒)
B&B(下北沢)
benchtime books(西荻窪)
twililight(三軒茶屋)

 どこかで手にしていただけたら、うれしいです。