
からだの中に、辻征夫さんの詩をいくつもしまいこんだ小さな箱があります。詩はたまにそこからひょっと出てきて、たいていそれは外出先でのことなので、帰ってきて本を開いて、答えあわせのように拾い読みします。
これは京成押上線にのって先輩の住む町、立石に向かう途中で思い出した詩。地上に出たり川を渡ったり、空は澄んで明るくて、ああなんて気持ちのよい電車の旅よ、とうっとりしていたら、辻さんの「東武伊勢崎線歌」がひょっこりと。次々に通りすぎていく駅の名前や窓の外の景色や思い出や思いつきや呟きやぼやきやまぼろしやあれやこれや、ようするに目に映るもの頭に浮かんだこと、そのすべてが、境目が見えないくらいまろやかにまざりあって流れていく、そんな詩です。はじめて読んだときには、どうして電車に乗るとひたすらぼんやりしてしまうのか、そしてそういう時間がとても好きなのか、その答えがここにあるなあと思いました。
あさくさ
なりひらばし
ひきふね
(中略)
昨日少年の谷中の
もうひとりの先生と歩いた浅草 墨堤あたり
このあたりでうろついてしまった半世紀
本所緑町で生まれたと思っていたが
先日戸籍謄本のあたまのごちゃごちゃを読んだら浅草で生まれたと書いて あった
(昔から書いてあったにちがいないがあんなものだれが読むものか)
いったいどこの
生まれなのだろう
どこでも
いいひきふね
「東武伊勢崎線歌」より(『萌えいづる若葉に対峙して』所収/思潮社)
東武伊勢崎線と京成押上線に共通するのは、「中央から離れてゆくやすらぎ」でしょうか。秋の終り、立石で冷えすぎたビールを飲んだら、また鼻風邪をひきました。
(写真は復元された明治時代の活字を使って刷ったもの。活字についてくわしくはこちらに)
追伸 行 く 秋 や 眠 る 男 の あ た た か き