2020年12月27日日曜日

拾い読み日記 221

 
 美容院でたまたま雑誌の星占いを読んだら、水瓶座は、来年、すごく運勢がいいらしい。スタートラインに立つような年、とも書いてあった。別の人の占いをネットで見てみたら、12年に一度のラッキーな年、とのことだった。そういう話はわりあいすきなので、もっとほかの占いも読んで、気分をもりあげたいと思う。「風の時代」のはじまり。
 何気なく、美容師さんに誕生日をたずねたら、今日だ、という。キリストと一緒ですね。おいくつになられたんですか、と聞いたら、31だという。おだやかで、やさしいおにいさんみたいな雰囲気の人だから、何となく、同世代かと思っていた。老眼の話とか振らなくて、よかった。
 
 『ユリイカ ぬいぐるみの世界』を読んでいる。うちにいるのはパペットだから、ぬいぐるみとは、少しちがう気もするが、共感するところも多い。
 数年前はぬいぐるみに名前をつけたり話しかけたりしている人の話を聞いて、ええ…?と思ったりしたが、今ではふつうにそれをやっている。どうしてか、自分でもよくわからないので、読んでいる。

 印刷機には、(平出さんみたいに)名前はつけていない。

2020年12月16日水曜日

拾い読み日記 220

 
 新しい眼鏡は度が強く、長くかけているのはつらいので、一日使い捨てコンタクトレンズも使ってみることにした。なかなか快適だ。ひさしぶりに自分の顔をはっきり見た。目の大きさと皺の感じが新鮮だった。近くが見えにくいので老眼鏡も買った。

 先日、Y先生に活版の歌を教えてあげようと思い、『浜田康敬歌集』を買い直した。

 文選に黒く汚れし我の手で我に縁なき愛語を拾う

 などなど、「愛」や「恋」の歌がいくつかある。活版以外の歌にも、ひかれるものがあった。

 逢いしことこまごまと記す日記帳吸取紙あて逆しまに文字吸わせつつ

 繊き文字の連なり長く便箋の最終行でのみ愛されている

2020年12月5日土曜日

拾い読み日記 219

 
 寒いので、家から出なかった。買いものも夜の食事づくりも夫がやってくれるので、のんびりしている。
 今日の仕事は、もう終わった。本棚から『永井陽子全歌集』をひきぬいて、ゆっくりと、ページをめくる。

 「モーツァルトの電話帳」の最後にある散文にひかれた。
 東京のホテルに着いて、疲れ切って、むしょうにモーツァルトが聴きたくなる。ウォークマンは置いてきてしまった。それで、自宅の留守番電話のメッセージの背後にかすかに流れる「トルコ行進曲」を、くりかえし聞く。「まるで虚空から一滴の真水を掬い取ろうとするかのように」。
 そこから、電話をめぐって、想像がふくらんでゆく。

 私が死んでも、部屋に電話が放置され、番号が生きているかぎり、私の分身はこの世に残り続けるのではないか。百年たっても二百年たっても、街を歩いていたその日のままに生き生きと。

 いなくなった人に電話をかけて、その声を聞いて、こころをしずめるようなことに似ているだろうか。疲れた夜に本を開いて、歌をよむということは。

2020年12月4日金曜日

拾い読み日記 218

 
 ようやく時間ができたのであたらしい眼鏡を作りにいったら、視力ががくんと落ちていた。不安になり、翌日眼科へ。白内障が始まっているそうで、今日は、緑内障になっていないか調べるための、視野検査があった。微妙な診断だった。三ヶ月後にまた検査をすることになった。
  白内障は目の老化で、年をとれば誰でも白内障になる、とネットの記事で読んだ。80代の人は、ほぼ100%白内障らしい。早い人は40代で始まる、というから、40代後半は、まあまあ早い、といえるだろう。
 このあいだから、歯茎も腫れて、痛い。原因は分かっていて、精密な治療(保険がきかない)が必要なのだが、歯医者の予約が23日なので、それまで耐えるしかない。薬をのんだので、今日から三日間禁酒。三日もお酒をのまないなんて、数年ぶりで、なんだか新鮮だ。

 先日、ネットで村井理子さんの「更年期障害だと思ってたら重病だった話」を読んで、身につまされた。自分も自分をネグレクトしていたような気がする。自分の体は、大切だ。すぐ忘れてしまうので、書いておこう。

 今月は、脳神経外科にいってMRIも撮ってもらいたい。持病があるのに、数年前、勝手に服薬を中断してしまった。思い返せば、ネグレクトにもほどがある。
 あと、親指の付け根が一ヶ月くらい前から痛いので、整形外科にも行きたい。健康診断とか人間ドックとかも予約しよう。手遅れ、なんてことがありませんように。

 夫がいった。「オレらももう年だから、ゆっくりしたほうがいい」。オレら……?と若干当惑しながらも、同意した。40代も、30代も、無理をしてはいけない。

 仕事が落ちついたら、紙で何かつくりたいな、と『老いのくらしを変えるたのしい切り絵』(井上由季子)を、ぱらぱらめくったりしている。80代の親たちが切り絵を始めていきいきしてくる様子をみつめるまなざしは、あたたかく、かつ、こまやかで、読んでいるうちに、むしょうに、手を動かしたくなってくる。つくるうえで、とっても大切なことを、思い出させてくれる。「心と体は、〝楽しい〟と〝ゆっくり〟とのバランスが大事だと思う。」
 8年前、モーネ工房のギャラリーで買った富士山の切り絵のはがき、すごくすきだった。見た瞬間、わくわくした。ああいうものにあこがれる。

 老いることをそんなに恐れてはいなくて、もう無理しなくていい、と思うと、心がかるくなってくる。これまでとは別の生を、別のやりかたをみつけたい。これも創造であり、冒険といえるだろう。きっとできると思う。

 私の老齢が存在しないと告げることは、私が存在しないと言うのと同じだ。私の老齢を消すことは、私の人生を消すこと——私を消すことだ。(アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』)