2020年11月25日水曜日

拾い読み日記 217

 
 ひと息ついて、本をひらいた。このあいだ美術館で買った、『Nobuko Watanabe  works:2002–2014』。正直、展示会場で作品をみたときは、ここまで惹かれるとは思っていなかったが、作品集がすごくよくて、みていると、ただきもちがいい。白い作品にひかれる。白い布の曲線、曲面が、ひらかれた本の頁のふくらみと、ノドを連想させる。

 それから、詩集をひらく。ほんとうは白い本なのに、表紙がやけて薄茶色になった『デュブーシェ詩集』を。

 そしてただ まっしろなからっぽ 流れるものを
 あふれださせる まっしろなからっぽだけがあるのだったら 

 ノドがつくるラインが、水平線のようにひかってみえる。

 白いことばをあつめた、白い本がつくりたい、と思う。ことばははるかな水平線のむこうからやってくる。

 

2020年11月20日金曜日

拾い読み日記 216

 
 この二週間ほど、ほとんど本が読めなかった。

 今月の疲れのピークは、先週、うちあわせのあとよろよろと寄った薬局で、チョコラBBハイパーを買おうとしたら、レジで別のドリンクを勧められ、考える気力もなく、するするとそれを購入したあたりだろうか。900円もする蔘28、効いたのだろうか。さいわい、たおれたり、風邪をひいたりはしていない。

 朝、本棚から糸井茂莉『ノート/夜、波のように』をぬいたつもりが、テーブルの上には、内藤礼『空を見てよかった』がのっていた。目も、そうとう疲れている。

 ひとりになると気配をさっした。道や空や土からの、いるものといないものの茫洋たるようす。わたしは見えないことに助けられ、かれらの生をおなじつよさで思い、また思い出した。やがて、ひとりでいることに平安が返された。さあっとものが光った。この外にはわたしをのぞくすべてがある。じぶんではないものが生きているのが平安だった。闇に息をしずかにはいた。世界はきょうをのびやかに過ぎていく。わたしはその圧倒的な自由に眼をむけた。

 どこからでも読める本、どこでやめてもいい本は、いつでもひらかれているしずかな空間として、そばにある。
 
 今朝の朝焼けはみごとだった。


2020年11月8日日曜日

拾い読み日記 215

 
 昨日、家から出られなくて鬱々として暗い妄想にとりつかれたりしてしまったので、今朝は、夫といっしょに朝食を食べに外に出た。花も落ち葉も青空も綺麗で、とてもいい気分転換になった。
 開店前の水中書店で絵本と画集を買わせてもらい、家に戻って、仕事。ついついニュースを見てしまい、なかなか進まない。
カマラ・ハリスの演説、それを聞いている女性たち、女の子たち。ジョー・バイデンの演説(ジム・キャリーのものまねまで見た)、路上でよろこびあう人々、泣きながら話すコメンテーター。
 いったいどれほどの抑圧だったのだろう。自分まで解放された気持ちになった。抑圧的な、差別的なものたちが力を失ったわけではないと思うが、それでも何かを信じたくなる。

 白いページ。あたしがコリントス・アヴェニューでこしらえた物語だ。一字も書いてない、白いページ。タトゥーが入るのを待っているスティーピーの背中とおんなじ。
 鳥が飛んでくるのを待っている空。ヒナに孵るときを待っている静かな卵。時間が流れはじめる前の宇宙。現在になるのを待っている未来。
 よおく見れば、白いページは思い出や、過去の出来事や、夢やヴィジョンで埋まっている。〈可能性〉で埋まっているから、ぜったいに空虚ではない。

 このあいだ買って、拾い読みしているデイヴィッド・アーモンド『ミナの物語』を、今日も少しだけ読んだ。



2020年11月7日土曜日

拾い読み日記 214

 
 「「休符のなかにも音がある」なら、余白のなかにも言葉があるのだろう。」
 作業中、数年ほど前に書き留めた言葉があたまをよぎった。ラジオを聞いていてメモした言葉で、話していたのは、佐治晴夫と髙木正勝だったと思う。

 「音」をおさめる冊子のデザインを通して、余白に向き合っている。余白のなかにあるのは言葉なのか、言葉でないものなのか。沈黙、静けさ? 今はゆっくり思いをめぐらす時間がない。本棚から本を引き抜いて、書きうつしておくだけ。

 だから描いた部分と描かない部分、作るものと作らないもの、内部と外部が、刺激的な関係で作用し合い響きわたる時、その空間に詩か批評そして超越性を感じることが出来る。
 芸術作品における余白とは、自己と他者との出会いによって開く出来事の空間を指すのである。(李禹煥「余白の芸術」

2020年11月6日金曜日

拾い読み日記 213

 
 まったく本が読めなくなってしまった。
 仕事の合間に、アメリカ大統領選のニュースを見たり、ツイッターを見たりしている。

 こういう、余裕がなくて追い込まれているようなときに不思議とその姿を見たくなるのが宮本浩次で、今日は、「Do you remember?」のMVを、何度か見た。うつむいて歌っているところが、よかった。音と映像のずれも、なかなか。ときどき鏡に、映像を撮っているカラフルな服の人がうつる。

 さようなら昨日よ
 こんにちは今日よ

 あれっという間に、今日が昨日になるので、追いつかない。