2020年9月24日木曜日

拾い読み日記 204


 神保町でのお昼休み、雨もそれほど降っていないので、少し足をのばして、20年前に行きつけだった小料理屋に、お昼をたべにいった。行きつけといっても、店主のご夫婦と特に親しくしていたわけではないので、むこうはまったく覚えていない。どんなふうになっているのか、好奇心となつかしさから、行ってみた。
 店内はぜんぜん変わっていなかったが、ふたりは20年ぶん年をとっていた。そっけない感じの奥さんは、人なつっこい感じになっていた。髪が白くなったヒゲのだんなさんは、あいかわらず、いいひとそう。味は変わっていない。店を出て歩いていると、なんだか、じいんとした。誠実さって、こういうことかなあ、と思いながら。

 読みかけの國分功一郎・互盛央『いつもそばには本があった。』をかばんに入れていたのに、まったく読めなくて、行きの電車では、音楽を聴いていた。

 今この時この橋渡って走り出す
 爆弾と竜巻と物質主義をくぐりぬけ
 犬には犬のための犬の愛が犬にある
 しっぽまく うすら汚れる
 とぼとぼ歩く
 途方に暮れる 犬とよばれる でも 生きてゆく
 (矢野顕子「I am a dog」)

2020年9月16日水曜日

拾い読み日記 203

 
 昨日、今日とよくはたらいて、たくさん動いて、ひとに会って、身も心も充実し、ちから尽きたので、夫との夕食をキャンセルして、ひとりでごはんをたべて帰った。ビールとワイン2杯をのんで、すこし、酔っ払った。

 先週、夢中で読んで、読み終えた、ベルンハルト・シュリンク『オルガ』のことを、何かしら書き留めたいと思っていたのに、なかなかできなかった。

 憧れとは何でしょう? ときおり、あなたへの憧れはまるで物質のようです。見過ごすこともできず、場所を移動させることもできず、行く手をふさいでいます。それでも部屋の一部であり、わたしはもう憧れが邪魔をすることに慣れました。ただ憧れは、何かの打撃のように突然襲いかかってくるので、声をあげて叫びたくなってしまうのです。

 第三部、オルガの手紙のなかで、もっともこころに残っているところ。
 憧れとは何だろう?

2020年9月3日木曜日

拾い読み日記 202


 仕事のあと出かけるつもりだったが、またあたまがふわふわしてきてあぶないので、やめておく。昨日は元気だったのに。

 今週はいくつか仕事のラフをつくることになっている。午前中に見て、これでいい、と思ったラフを、午後に見直すと、ほんとうにこれでいいのかどうか、不安になってきた。届いた試し刷りを、部屋のあちこちで見る。紙の角度も変えて、光り具合を確認する。なやんでしまって、なかなか決められない。明日、かんがえよう。

 頭痛がするけれど、それでも何か読みたいので、山本善行『定本 古本泣き笑い日記』を。頭痛はつらいが、何度か声を出して笑った。

 いつも三条のブックオフに寄ってから、京阪特急に乗るのだけど、電車を待つのがいやで、いつもギリギリまで古本を見ている。そして改札を走り抜け電車に飛び乗るのだ。でも今日は目の前でドアが閉まってしまった。仕方ないので、もう一度ブックオフに戻り同じことを繰り返すと、又しても目の前でドアが閉まったのだ。

 読んでいるうちに、起き上がる気力が出てきた。頭痛がすこしおさまってきて、古本屋に行きたくなる。


2020年9月2日水曜日

拾い読み日記 201


 朝、ふと、ロラン・バルト『テクストの快楽』をひらいた。ある文章にひかれ、誰かがどこかで引用していたように思ったが、はっきりとは思い出せなかった。あるいは、学生のときに読んだのだろうか。不思議ななつかしさを感じる文章だった。夫から聞いたのかと思い、読んでみてもらったけれど、初読のようだった。

 愛する者と一緒にいて、他のことを考える。そうすると、一番よい考えが浮ぶ。仕事に必要な着想が一番よく得られる。テクストについても同様だ。私が間接的に聞くようなことになれば、テクストは私の中に最高の快楽を生ぜしめる。読んでいて、何度も顔を挙げ、他のことに耳を傾けたい気持に私がなればいいのだ。私は必ずしも快楽のテクストに捉えられている訳ではない。それは、移り気で、複雑で、微妙な、ほとんど落着きがないともいえる行為かもしれない。思いがけない顔の動き。われわれの聞いていることは何も聞かず、われわれの聞いていないことを聞いている鳥の動きのような。(沢崎浩平訳、下線部は傍点)

 拾い読みを強要するのは、よほど親しい人でないとむずかしい。読んでもらっているあいだ、じっとして、目の動きを追って、待っていた。いっしょに読んでいるような、自分を読まれているような、ちょっと奇妙な感じがした。

2020年9月1日火曜日

拾い読み日記 200


 ぐるぐる、くらくら、ふらふら、ふわふわ。めまいには、だいたい四種類あるらしい。どれも経験したことがあるが、昨日のは、ふらふら、だったようだ。午後、昼寝から覚めて起き上がってみると、うまく歩けなかった。夜まで寝ていて、それからそうっと起きてみると、わりと、だいじょうぶだった。今朝はすこし、ふわふわする。

 窓を開けてみると、秋らしい風が吹いてきた。
 このところ、またネットばかり見てあれこれ読み散らして、あたまが混乱している。何をどうかんがえたらいいのか、わからなくなっている。

 日々の疲労によって解体し、拡散し、打棄てられる僕自身を、僕のペンはあるいは一つに集めることができるかもしれない。(矢内原伊作「戦後の日記から  1」)

 まず呼吸を深くして、疲れを癒やすこと。激しい言葉ばかり求めるのは、疲れているから。読むこと、書くこと、何もしないこと。
 考えることを誰かに預けてしまっては、いずれとりかえしがつかなくなる。