2020年6月17日水曜日

拾い読み日記 190


 広い、しずかな美術館のカフェの窓辺の席に、Hさんといっしょにいた。Hさんはプリンをたべていて、なんだかあわててたべているようなので、もっとゆっくりしていいんですよ、時間はありますから、と声をかけ、コーヒーものみませんか、といったところで目が覚めて、足がつった。朝6時、最悪の目覚めだった。息もできないくらいの痛みの中、よく夜中にこむらがえりを起こしていた祖母のことを思い出していた。こういうのは、遺伝するのだろうか。痛い、という声に気づいた夫が、ねぼけながら足をなでてくれたが、触られるとよけい痛いので、やめてもらう。今でもまだ、すこし痛い。

 夢は、いい夢だった。旅の時間のように、新鮮な感じがした。なごやかで、おちついていて、おだやかなたのしさがあった。

 この世に夢ほどふしぎなものがまたとあろうか。夢は「第二の人生」であり、「開かれぬ手紙」である。また人は夢のなかでむしろ本当に目ざめ、昼よりも自分の魂の営みをじっと見つめているのかもしれない。(北杜夫『或る青春の日記』)

 もう少ししたら、美術館にいってみようか。夢の中の美術館には、人はほかに誰もいなくて、ほんとうにしずかだった。何をみたかはおぼえていない。