2020年1月23日木曜日

拾い読み日記 145


 逸脱、憑依、陶酔、狂気。「精霊たちの水都」。「闇の奥」。時間の織物。なんで自分がここにいるのか。

 昨日、「ミシェル・レリスの魅力と魔力」(千葉文夫×石原海)で書き留めた言葉。なんとしても『ミシェル・レリスの肖像』とレリスの日記を読まなければ、と思った。
 どうして自分はあの場にいたのだろう? いろいろなことはつながっている。

 帰りの電車で、疲れと眠気でふうっと気が遠のきそうになったけれど、ふしぎと、あたたかな手で包まれ、支えられるような感覚があった。目に見えない、やさしい精霊の気配。その直前に、ドミニク・チェン『未来をつくる言葉』を買って、少し読んだからかな、と思った。

 彼女の身体がはじめて自律的に作動したその時、自分の中からあらゆる言葉が喪われた。同時に、とても奇妙なことだったが、いつかおとずれる自分の死が完全に予祝(よしゅく)されたように感じられた。自分という円が一度閉じて、その轍(わだち)の上を小さな新しい輪が、別の軌跡を描きながら、回り始める感覚。自分が生まれたときの光景は覚えてはいないが、こどもの誕生を観察することを通してはじめて、自らの生の成り立ちを実感する気もした。

 読みながら、まるで自分の死もあらかじめ祝われているようだ、と思った。それに、自分の誕生も、さかのぼって祝われているのだと感じて、そして、すべての生と死に、想いはひろがろうとする。それは静かで、確かな、よろこびだった。