2019年4月3日水曜日

拾い読み日記 103


 朝、製本しながらカエターノ・ヴェローゾの「ククルクク・パロマ」を何度か聴いた。映画をみにいきたい、と思った。映像の記憶で胸をいっぱいにしたいと。けれど、今はまだいけない。
 映画の中の恋人たちがなつかしい。踊ったり、囁きあったり、罵りあったり、傷つけて、離れて、また出逢って。さまよえる悪夢のような恋。
 発送を終えて、桜を見た。今年の桜は、冷たい風の中で揺れていた。

 ものも言わず、ときには生命のないこれらの被造物が、あふれんばかりの愛をもって私の目の前で私に迫ってくるので、幸せになった私の目には、まわりのどこにも、死の影が見えなくなっています。存在するものすべて、私が覚えているものすべて、混乱した私の考えが触れるものすべてが、私には、なにものかであるように思えるのです。(……)私のなかで、私のまわりで、さまざまな力が恍惚となって、ひたすら無限に抗争していることを、私は感じています。(ホーフマンスタール「[チャンドス卿の]手紙」)

 水中書店に寄ったあと、テオレマカフェで本を読んでいたら、ものすごく眠くなって、うつむいたまま、少しのあいだ眠ってしまった。夢をみて、目覚めた瞬間、忘れてしまった。何か、美しい、不思議なものに触れて、手の中でそれが溶けていったような感じが残った。『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』を2章まで読んだ。