2019年3月20日水曜日

拾い読み日記 98


 4月のようにあたたかい。どこかに気のむくままに出かけたいが、なかなかそういうわけにもいかない。
 たのしい音楽を聴こうと「はらいそ」(細野晴臣&ワールド・シャイネス)を流す。ライブの感じが、すごくいい。口笛も拍手も曲の一部だ。「ここは住めば都の大都市 明日も抜けられない島国」。いっしょに歌うと、心がちょっと軽くなった。

 昨日は夫といっしょに、神保町と高円寺を歩きまわって、本をたくさん買った。高円寺では、たまには古着でもみようと、古着屋にいくつか立ち寄ったが、ほしいものが見つからず、結局、古本屋さんでまたいろいろ買ってしまった。二人あわせて10冊以上。
 夜は夫がごちそうくれたので、お礼に何か本を買ってあげる、と駅前の文禄堂に寄った。じゃあこれを、と持ってきたのが『メカスの映画日記』(3500円)だった。一瞬、おっ、と思ったが、買ってあげた。本を買うたのしさと、よろこびを、存分にあじわうことができた、よい休日だった。

 大石書店で、ロジェ・グルニエ『パリはわが町』を買った。
 パリの、番地や通りを手がかりにした、断章形式の回想録。たとえば、「レオミュール通り一〇〇番地(またしても、例によって)」では、カミュの思い出が語られる。1960年1月4日、カミュが亡くなった日の出来事。グルニエは、その知らせを聞いて、まるで逃げ込むように、「コンバ」紙の印刷機のある階に向かったという。そこはかつて、カミュと、印刷の職人たち、植字工や印刷工と、幾晩も過ごした場所だった。

われわれは、なんといってよいのかもわからず、印刷室の片隅でじっとしていた。わたしの眼差しはたえず、ドアのそばの一角に向いてしまった。カミュはしばしば、そこでページ組みに目を光らせては、校正刷りに直しを入れたりしていたのだ。そして一人が、ようやく口を開いた。
「きみがカミュの死亡記事を書くなら、ぼくたちが彼の仲間だったことをちゃんと入れてくれよ。」
 やがて、印刷工や校正者たちは、『アルベール・カミュへ。彼の本の仲間たち』というタイトルの本を書くことになる。彼らはわたしに序文を依頼することで、仲間に入れるという栄誉を与えてくれた。

 この本は、“À Albert Camus, ses amis du livre”という本のようだ。読んでみたいが、読むことは、できないだろうか? カミュのことも、グルニエのことも、すっかり、すきになってしまった。すき、というよりは、特別な存在、特別な作家になった。ロジェ・グルニエの祖父は、印刷工だったそうだ。