2019年3月24日日曜日

拾い読み日記 101


 いつのまにか日記の通し番号が100を越えた。何も続かない、と思っていたけれど、やってもやらなくてもいいことは、続けられるようだ。いつでもやめられるし、好きなだけ続けてもいい。
 二度目の結婚を機に「10年メモ」を買ってしばらく書いていたが、半年と続かなかった。10年分の空欄にプレッシャーを感じた。それに耐えられなかった。そんなに生きるのかなあ、と思ったり、そのころはどうしているのだろうなあ、と思ったりした。生きることへの不安が大きいのだろうが、それだけではない。予定されたもの、想定されたものからは、逃げたくなる。

「誠実な」日記なんてものを読んだことがありますか。「誠実な」日記なんて噓の極みでしょう……それに、つまるところ、誠実さなんて退屈きわまりない! 何の足しにもならない。(ゴンブロヴィッチ)

 スーザン・ソンタグ『書くこと、ロラン・バルトについて』からの孫引き。続かなかったのは、誠実さを要求されているように感じたからかもしれない。あのフォーマットもコンセプトも、自分には、つよすぎた。

 今日は昨日とちがい、すっきりと晴れている。桜もだいぶ開きそうだ。しばらくしたら出かけよう。