2018年9月10日月曜日

拾い読み日記 61


    引越しの準備にもようやくめどがたち(つかれた)、あたらしい部屋の鍵を受取りに、吉祥寺の不動産屋さんへ。ぶじに受け取って、昨日、なんとなく買った『自信のない部屋にようこそ』(雨宮まみ)を、ホワイトビールをのみながら、読んでいる。
    本をすべて箱に詰めてしまったので、ほかにあまり選択肢がなく、読んでいる。でも引越しの前夜に読むのに、よかった。疲れているので日記を書くつもりではなかったが、書き留めておきたくなった。

    「部屋に一人でいることが孤独なのではない。一人の人間は、星座のように、どこかで見えるか見えないかの線でつながっていて、孤独を慰め合い、見守り合い、互いの孤独な戦いの美しさを、讃えあっているのである。」

    「星座のように」という表現が、すきだと思った。それから、こうした関係のことを、さらには、文学のことを、思った。

    かつて、一人でいて、悲しくてたまらなくなったとき、どうやってその時をのりこえたのか、もう、忘れかけている。

    明日は、朝から引越しだ。雨が降りませんように。

2018年9月4日火曜日

拾い読み日記 60


 今日は、在庫の整理をしよう、と思っていたのに、はがきサイズのわら半紙の束(合紙をとっておいた)を見て、急に捨てるのが惜しいような気がして、これで何かできるかどうか、試しにメモ帳を作ってみたのだが、うまくいかず、結局、部屋と机が散らかっただけだった。いったい何をしているのだろう。物を捨てる前にクリエイティブになるのはやめなさい、とミニマリストがいっていたが、ほんとうに、そうだと思う。明日、段ボールが届くので、もう何も考えず、箱に物を詰めることに専念したい。
 
 椹木野衣『感性は感動しない』を読んだ。みること、読むこと、書くこと、生きることをめぐって、書き留めておきたいことがたくさんあるが、今、その時間があまりない。
 たぶんもっともこころが動いたのは、なぜ書くのか、という問いをめぐっての文章だった。書くのは、お金がほしいからでも評価されたいからでもない。

 「ではなぜなのでしょう。こんなことを考えていると、私はふと、失われた時間や場所を想像力によって取り戻し、そのことで蘇る、自分のなかに眠る天空の宇宙のように不滅ななにかを、読む人とわずかの時間だけでも分かち合うために書いているような気がすることがあるのです。」

 台風のせいで、雨風が強くなってきた。これから出かけなくてはならないので、気が重い。