2018年7月5日木曜日

拾い読み日記 40


 ある小説を読んでいて、三分の二ほど読んだところで、突然、読めなくなってしまった。たぶん、ほんとうは、読めなくはないのだが、なぜ、いま、この本を読んでいるのか(読まなければいけないのか)、わからなくなった。「トカトントン」みたいな感じ。おもしろくない、退屈、というのとも、すこしちがうような気がするが、わからない。
 その本は途中でやめることにして、べつの本を読む。『エミリ・ディキンスン家のネズミ』。むかし持っていたはずだが、読んだ記憶がないのでまた買って、今度はすぐに読み始めて、読み終えた。
 エミリの詩を読んだネズミは、子どものころ、はじめてひとりで外に出てみたときの気持ちを思い出す。

「黒い草の上にあおむけになって、白く燃える月と星々を見つめていたとき、激しい感情が、わたしの心をよぎってゆきました。——生きてここにいるということの、悦びと不思議。わが身の不安。手のとどかないものに触ってみたいという、つよい願い。誰なのだろう、わたしは? なぜ、ここにいるのだろう? これから、どこへゆくのだろう?」

 エミリとエマライン(ネズミ)のちいさな詩集は、絵によると、和綴じのようだ。題箋が貼ってある。自分がつくるなら、どうするかな、とかんがえることは、たのしい。
 ちいさな本の運命について。それは、書いた人も作った人も、見届けることはできない。エマラインはいう。「「誰でもないもの」として出発したわたしは、たぶん、「誰でもないもの」として終わるのでしょう。けれども、数えきれないほどたくさんの不思議なことばがこの世にはあり、わたしはそうしたことばを見つけてゆきたいのです。」

 昨日はシモーヌ・ヴェーユ『重力と恩寵』、エーリヒ・ケストナー『エーミールと探偵たち』も買った。それぞれ読み進めて、すっかり遅くなる。帰りは、雨に遭った。