2018年5月20日日曜日

拾い読み日記 36


 朝、外を歩いた。葉が濡れているみたいにつやつやと輝いていた。光の滴り。葉擦れの音は、波音に似ていた。一瞬、目を閉じてみる。この仕事が終わったら、海にいきたい、と思う。ひとりか、ふたりで。5月は美しい季節だと思う。躑躅も紫陽花もどくだみも昼顔も咲いている。

 今日は午後から印刷。活字でなく凸版を刷るのは慣れていないのでどうかと思ったが、うまくいったみたいだ。樹脂版より亜鉛版のほうが自分は刷りやすい。圧をかけても線が太くならないのがいい。
 とても疲れて、本はあまり読めなかった。それでも手の届くところにある本を開いて、すこしだけ読んだ。

日常は逃れ去る。なぜ日常は逃れ去るのだろうか。それは日常が主体を欠いているからである。」(モーリス・ブランショ『終わりなき対話』)

 昨日はリソグラフ印刷の印刷所で、ごろんと横たわる大きな犬を撫でたり舐められたりして、癒された。

 なんだか疲れていて、それでも誰かと話したい気分だからか、SNSの持っているアカウントすべてに投稿した。誰からも反応がないことの安らかさ。おかしな自意識。

 展示まであと10日ほど。まにあうと思う。しかし、何かがじわじわと近づいてくるのは、苦手だ。

 メールをチェックすると急な仕事の依頼が入っていた。「強盗殺人」についての本らしい。写真も文字も禍々しく、怖い。できるだろうか…

2018年5月13日日曜日

拾い読み日記 35


 午前中は小さなコラージュ制作。6月に、あるカフェギャラリーで、たくさんのひとの作品といっしょに展示される予定。時間がかかったが、作るのはとてもたのしかった。紙を切ったり貼ったりするのは、ほんとうにたのしい。
 それから『エア メイル』の制作。紙を切って重ねてめくってみる。そうしてみないと進められない。
 コーヒーをのみながら、ベン・ニコルソンやモランディの展覧会図録をぱらぱらめくったり、じっとみたりした。水彩画の、滲みや濃淡が、やや沈みがちなこころに寄りそってくれる。
 午後から強い雨。なかなか集中できない。
 合間に「ともだち」(宇多田ヒカルと小袋成彬)をきいた(みた)。赤い服を着て歌う宇多田ヒカルの妖艶なこと。「恥ずかしい妄想や 見果てぬ夢は 持っていけばいい 墓場に」。届かない手紙を書き続けているような人(声)だな、と思う。
 「墓場」といえば、先日、「余命」という言葉を聞いて、次の日、寝覚めがわるかった。たのしい会だったけれど、そのことは、気になっている。人も自分も、いつかはしぬ、と思っていても、いつ、とは思っていない。それは、締め切りのようなものだろうか?

2018年5月12日土曜日

エア メイル





ananas press「エア メイル」

日時|2018年6月1日(金)― 6月6日(水) 12:00―19:00 
会場|colonbooks(名古屋) 

昨年、香港ブックアートフェスティバルで発表した『Letters from Reiko 1975–1984』を中心に、「手紙」にまつわる新作を展示します。
製本作家の都筑晶絵さんとananas press(アナナプレス)を始めてから10年になりますが、今回、新しい「本」をつくりながら、手紙・文字・本に惹かれてきた理由、その魅力の本質のようなものが、ようやくわかってきたような……、そんな気がしています。手紙のもつ、ふしぎななまなましさ。書かれた文字が伝える、本人の声と所作。言葉の遠さと近さということ。この展示そのものが、見にきてくださる方と、Reikoさんへの、ananas pressからの手紙になればと思います。
コロンブックスの空間に『Letters from Reiko 1975–1984』を置いてみたくて、名古屋での開催になりました。
どうぞ見にいらしてください。


 + + + + +


ananas pressの友人Anna Gleesonの展示もまもなく開催です。
Annaとは『colour full』という本を作っていっしょに活版凸凹フェスタに参加したり、TABF(2009、2010)に出たり、2014年には『Circle』にも参加してもらいました。近頃は“nude calendar” を毎年つくっているアナのDRESS、おもしろそうなのでおすすめします。HATOBAはSTOREの2階で、コーヒーも飲めて素敵な場所です。




Anna Gleeson「DRESS」

日時|2018年5月18日(金) ―5月27日(日) 11:00―18:00 月・火休み
会場|HATOBA(西荻窪)




(ananas pressとAnna 2010年のTABF『@YOU MORE BOOK』)

2018年5月9日水曜日

拾い読み日記 34


 広い古い家、おそらく実家でひとり寝ていて、ほかに誰もいないはずなのに人の寝息が聞こえておそろしくなり、大声を出そうしても声が出なくて、とても苦しい夢をみた。目が覚めたら首を寝ちがえていた。

 5月なのに寒い。気にかかることがあって、やろうと思っていたことができなかった。午後は喫茶店でベン・ニコルソン展の図録を見ていた。「ホワイト・レリーフ」にひかれている。「ニコルソンにとって「白」は、すべての光線の混合である……と同時に、光と精神であった。」
 静かな、すっとした気持ちになる。いつだったか、ステーションギャラリーで展示をみたときは、ほとんどひかれなかった気がするけれど、今は、とてもひかれる。

2018年5月7日月曜日

拾い読み日記 33


 午後から強い雨。その前に帰宅できたのはよかったが、持っていたかばんが重くて、とてもくたびれた。しばらく休もうと思って横になったら、2時間くらい経っていた。革のかばんは重いのでずいぶん前に持つのをやめたが、帆布もそうとう重い。重くなった。年をとり、体力がなくなってきたとひしひしと感じる。しかしさほど暗い気持ちにはならない。あたりまえのこととして受けいれている。リュックサックやキャリーバッグを買おうと思う。
 
 文庫で買った『ひみつの王国 評伝 石井桃子』を読み進めている。すこしずつ読みたい。いつもなら、制作で本が読めなくなる時期なのに、いま読まずにいられない、何かがある。読み終えたら、何かが変わるのではないかと、うっすら感じる。「私は、その本を読んで、人間というものの「よさ」にうたれ、希望と幸福を感じた」

2018年5月2日水曜日

拾い読み日記 32


 曇ったり日が射したりの午前中。一件入稿をすませて出かけた。紙を買いに青山まで。見本をみてもなかなか決められない。疲れているのだろう。肩がものすごく凝っている。1時間くらいぐずぐずしていた。6時前にようやく店を出たら、雨が降り出していた。
 
 昨日みたバージニア・リー・バートン展がよかったので、その余韻にひたりながら、石井桃子さんのエッセイを読んだりした。

「ヴァージニア・L・バートンからは、一週間おきくらいに手紙がきた。けっしてこの本の進行についてではなく、日本での旅のこと、帰国してからのできごと、また将来の仕事についてなど。それが、彼女がいっしょに仕事をしてくれているような支えになった。」(「「せいめいのれきし」の著者からの賀状」/『石井桃子全集 7』)

 書かなければ、と思っていた手紙(はがき)をようやく書いたのに、机の上に置き忘れて出かけてしまった。メールを送ったほうがいいのだろうか……。
 
 今は、とにかく眠くてあたまが働かない。明日は家にいて、いろいろなことを進めたい。