2017年12月22日金曜日

拾い読み日記 9




 12月22日。昨日は家から出なかった。清水徹『ヴァレリー 知性と感性の相剋』を読み終えた。今はあたまがうまく働かなくて、要約ができない。要約は苦手だ。最後の恋愛の終わり方に胸が痛んだ。激しい恋はいつだって痛いものだが、それがなければ、ヴァレリーはヴァレリーではなかった。

「だから、生きようとする意志よりも、理解する能力よりも、このいまいましい——C〔心情〕の奴のほうが強いのである。╱《心情》——これは不適切な呼び方だ。わたしは——すくなくとも、この恐るべき共鳴装置に、適切な名前を見つけたかった。」

 ノート(「カイエ」)にそう書きつけて、二ヶ月後にヴァレリーは逝ってしまう。
 3年前、『テスト氏』を手にしたとき、ひかれた言葉がある。「彼は、彼だけが織ったり、断ったり、つくろったり出来る網の目のなかに、たえず人を迷いこませてしまうのです」。きっと、誰かのことを思い浮かべていたのだろうが、誰のことだかもう忘れた。まわりには、知性と感性がとっても豊かな人が多い気がする。恋でなくても迷いこんでしまうこともある。
 
 今日はおそるおそる出かけてみた。足は少し痛むが、だいじょうぶみたいだ。駅前の喫茶店でガストン・バシュラール『空間の詩学』を少しだけ読んだ。  

「共鳴においてわれわれは詩をききとり、反響においてわれわれは詩をかたり、詩はわれわれのものとなる。反響は存在を反転させる。詩人の存在がまるでわれわれの存在のようにおもえる。」
 
 今年の仕事はあとひとつ。それが終わったら年賀状を刷ろうと思う。冬至なので柚子を一個買った。