2017年12月1日金曜日

拾い読み日記 2


 12月1日。空は灰色。今朝もなかなか起きられなかった。冬は眠い。「人間は冬眠したことがあるんじゃないかと思うんだな」と、吉田一穂はある鼎談で発言している。眠りは何の痕跡だろう、と。この言葉が好きで、ときどきその部分だけ読み返している。「眠ってるほうが本当の世界」(木々高太郎)、本当は、本当にそうなのかもしれない。



 やることはいろいろあるのに、どれもさほどいそがなくてもいいような気がして、ぼんやり過ごしてしまった。ただ、眠ることと同じように、ぼんやり過ごすことも、心身にとってとても大切なことだと思う。だから、罪悪感みたいなものは、持たなくていい。
 人間は、生きているだけで労働している。2年前の3月に高橋巖さんの話を聞きにいったとき、手帳に書き留めた言葉だ。あの日は帰りに、水中書店でヘッセの『デミアン』を買って帰った。2年以上たつのに、まだ少ししか読んでいない。もしかして、もう手元にないかもしれない。軽薄で怠惰な読者。だがそれでいいとも思う。読むことを労働にしたくない。
 「どんな人間の物語も、重要で、不朽で、神々しい」(『デミアン』)。はっと顔を上げて、こちら側に戻ってくる。あたりを見まわす。それから、また向こうにゆくのは、いつでもいい。本はいつでも、両腕を開いて迎えてくれる。

 3年前に買ったエンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』も、まだ読んでいる。5分の1くらい読んではいたが、すっかり内容を忘れてしまっていたから、また最初から読みはじめた。ようやく半分まできた。読み終えたい気持ちが芽生えたのを感じる。だから、ここでまた少し、休むかもしれない。
 「われわれは誰もが、どれほど恥ずべきこと、苦痛に満ちたものであっても、突然われわれの記憶によみがえってくる生活の断片をすくい上げたいと思っている。そして、そのためには言葉にして書き残すしかないのだ」。きっと何度読んでも、この言葉を書き留めたいと思うだろう。

 今日から、夫の古本屋の閉店時間が変わるので、夕食の時間もそれに合わせて1時間早まることになる。22時すぎから21時すぎになる、ただそれだけのことなのに、あたらしい生活がはじまる気がする。
 外が明るくなってきた。